◆家督相続と父・道三との決裂
天文17年(1548)、道三は義龍に稲葉山井ノ口城を譲り、自らは鷺山城に退きます。表向きは円満な家督継承でしたが、道三が後年、
実子である孫四郎を後継に立てようとしたことで事態は一変します。
義龍はこれに強く反発し、弟である孫四郎ら二人を誘殺。父・道三と完全に対立する道を選びました。
◆長良川の戦い|父を討つ決断
弘治2年(1556)、義龍は長良川河畔で道三と戦い、これを討ち取ります。戦国史の中でも屈指の「父殺し」として知られる出来事です。
しかし、この戦いは、単なる感情的反逆ではありませんでした。家督の正統性をめぐる争いであり、国主としての立場を守るための、
苛烈だが現実的な選択でもあったと見ることができます。
この戦いをもって、義龍は名実ともに美濃国主となります。
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